2012年11月2日金曜日

東京讃岐うどんはA級になれるか

以下の話は、東京という特殊な場所に限定した話だ。


久しぶりに蕎麦を東京で食べて、やはりこのレベルの高さはただものではないと感じる。


うどんは庶民、蕎麦は高級。

うどんはB級グルメで、蕎麦はミシュランにも載るA級グルメ


こんな図式があるが、蕎麦だって本来はいい加減貧しい食事だ

出自の貧しさではむしろ、圧倒的に蕎麦に軍配があがるかもしれない。

いつの間にこんなに差が付いたか。

蕎麦が抜きん出たのは、

江戸時代には、貧しい地域の食事から完全に脱却し、

洗練された食事としての更級蕎麦が完成されていたから、そんなこととも関係があるのかもしれない。

あとは、20年ほど前からの藪蕎麦を象徴とする高級蕎麦路線のヒットと、定番化も大きいだろう。



今のうどんブームは讃岐から起こった。東京にそれなりの数の讃岐うどん屋ができ、

美味しいうどんが食べられた背景には、香川発のうどん文化があるのが間違いない。


しかし、この、地方に格差のついた現代における「香川発」というのが、

うどんの高級化の足をひっぱっているのも事実だろう。


うどん屋のステイタスを東京で上げる一つの方法として「本場で修行」というのがある。

しかし、ある程度の箔つけになるのは間違いないが、

「讃岐うどんにしては高い」と言われる可能性も多分に含んでいる。

東京ではかけうどんを大体500~600円で売る店が多いが、

もうこの時点で「高くてバカバカしい」と言われてしまう始末である。

何しろ「本場」の値段相場は100~200円なのである。

「本場」を名乗ることは必ずしも得策ではない。


また、首都圏における香川、さらに四国の認知度とステイタスは極端に低い。

「香川発」という言葉は、そこで修行した人には特別に思えても、

一般人には特別なアピールがあまりないのが現実だ。


もちろん、このままでいい、という意見もあるだろうし、実際は僕もそうだ。

香川では素朴なままでいい。

香川で変に高級感をだしているうどん屋は僕はあまり好きではない。



しかし、中には、蕎麦は高級扱いされるが、

うどんは大衆品扱いが抜けないと嘆く東京の店主も多い。



それで、いかにすればうどんが蕎麦に追いつくか、

追いつく必要もないとは思っているものの、ちょっと考察しているのだ。



更に蕎麦を食べて思うのは、その高級感の演出の違いと、仕事の洗練度だ。

讃岐のうどんは、やはり麺、汁ともに田舎のものだ。


香川の中では「洗練された」という店で修行し、洗練度を売りにしている店もあるが、

板前の仕事レベルが導入されてる蕎麦屋などに行くと、全くの次元の違いに驚く。


香川での洗練は、東京では洗練の端緒に至らない。

これは悲しいが現実だ。

普通の人よりは、ずっと洗練された感じの地方局の女子アナが、

キー局のアナウンサーと見比べると、どうしようもなく見劣りがするのと同じ感じだろうか。

次元の違う見劣り感なのである。


ちょっとおしゃれな内装と食器

それっぽいおつまみ、「高級感」の定番である地酒やレア焼酎。

これらで固めてみても、やっぱり「庶民」と「田舎感」がぬぐえないんである。

高級地酒は、やはり作っている人が凄いんであって、

販売したからといってあまり凄くはないのである。



そば屋にも、数年の修行でお店を開く人も多いだろう。

しかし、そば屋を目指す人の人口は、東京ではうどん屋の比ではなく

中には高校卒業くらいから、ずっと修行している人や、

本格的な板前や、フレンチのシェフから転身する人もいる。

これはラーメンも同じだ。

料理人としてとんでもない素養をもった人がいるので、とんでもない展開が起こって行く。



しかし、東京のうどん界はまだまだ、他業種から数年の修行でうどん屋さんになった人が多く、

うどん自体の技術はそこそこ高くても、その他の料理の技術や、

基本的な飲食業としての接客がダメな店も少なくない。



数年の修行なのだが、職人面をして、黙って食べろ、みたいな感じになってしまうと、

本当に明日がない。

また、料理人としての基礎がないと、研究して色々なジャンルの食べ方や食材を取り入れても、

料理好きの奥さんが作る面白家庭料理の域を出ない。

そして、いい店で食べ歩いていないと、

それが家庭料理の域を出ていないことを自己評価できない。

残念だ。

もちろん、うどんを打つのは非常に難しいから、うどん一筋の職人も必要だ。

しかし、東京では、料理全体のレベルが高くないとなかなか評価されない。


さて、

うどんの地位が低いのは行政も分かっていて、香川県もうどんの地位を上げようと

最近一万円のうどんなんか出して、うどんが高級化する可能性を探っている。


これだ。

オリーブハマチや、讃岐牛などの高級食材をふんだんに使用したらしい。

皆さん、頑張っているから、あんまり悪くは言いたくないが、

これはもう、田舎の井の中の蛙の発想以外の何物でもない。


香川県庁は、東京から戻って就職する人があまり居ないのだが、

東京で数年ブラブラしていた、見識の広い人間をもっと雇うべきだろう。


うどんの高級化と、安易な物産展発想を盛り込んだ適当作品。涙が出る。

見た目も適当で涙が出る。

こんな所にうどんの高級化はない。


どうすればいいか。

本格板前あがりの職人なんかがうどんに本格的に参入してきたら、面白いことになるだろう。

商売人としての素養があり、料理人としても基礎がしっかりしている。

そして研究熱心。

そんな若手だ。


「本場」讃岐人としてちょっと寂しいが、

「本場」発信の方向では、讃岐うどんの活性化には明日はあるかも知れないが、

東京での「蕎麦レベルを目指したい」という目的のうどん地位向上にはあまり明日はなさそうだ。


僕は香川にいたから、うどんについてずっと情報を発信してきたが、

それでも大いに騒いでいるのはこの3年くらいで、

東京ではそれまで基本的に蕎麦と鮨ばっかり食べていた。


香川県庁の職員も、

この二つを東京でもっと食べ歩けば、東京讃岐うどんの、高級化を狙うにあたっての

マイナスポイントは嫌でも見えてくるだろう。

久しぶりに蕎麦を食べてみたいと思う。


もちろん、うどんは無理にA級グルメになる必要はない。

B級万歳である。

しかし、本当に蕎麦と肩を並べるA級グルメとして認知されたいなら、

脱讃岐が必要かもしれない。

それは、讃岐うどんにとっても幸せなことかもしれない。