2012年3月10日土曜日

懐かし画像


懐かしい画像が出てきたのアップしてみた。

2008年の3月である。

今あれば一押しの店なんだけど(笑)



この店に初めて行ったのは高校生の時。

既に親父さんをよく知っているとある人物に連れて行ってもらった。

それ以来何度行ったか分からない。




初めて行ったとき、良く覚えているのは、この写真の右奥に移っている製麺室でうどんを踏んでいたこと。


うどんは足で踏む、という話は聞いていたが、実際に見たのはそれが初めてだった。


足で踏む、というのは今では有名な製麺所作であるから、見えるところでやっている店も多いが、当時はその行為が珍しいという認識はあんまりなかったのだ。


機械化が進んでいた時期でもあり、製麺所が近くにないと、地元でも見たことがない人は多かったのである。


確かジャイアンツの帽子を被っていた記憶があるが、定かではない。






そういえば、左手前にある、スプーンを差したマグカップ、これを飲みのみ麺を延ばすのである。

しかし、ここに何が入っているか聞き忘れた。



今度会ったら聞いてみようと思う。

2012年3月8日木曜日

都会と香川の狭間で… 本格手打ち もり家


高松から南へ車で30分。 田んぼが終わり、徳島との県境の山々=阿讃山脈が近づき、それが丘陵として始まりだしたあたりの谷間に「もり家」は突然現れる。


香川といえども辺りにうどん屋はない。そこへの巨大駐車場と大店舗の出現、そしてそこへ連なる行列に違和感を感じることもあるだろう。

約十年前(平成13年)もり家は突然現れ、あっという間に立地条件をモノともしない人気店になった。



何故か。



止まっている車は半分は県外ナンバー。半分は県内であるのだが、県外の方には都会的で間違いなく美味しいうどんとして、そして県内の人には、タマには行きたい高級店として、どちらの立場の人にも貴重な存在であるからだ。

現在「主流」とされるセルフではなく、普通のレストラン形式である。テーブル中心の席にはゆとりがあり、基本的に相席もなし。

出てくる麺は極力茹でたて。

単価は高いが、茹でたて故に当たり外れがなく、回転が遅いので並びは長くなるが、一度席に着けばゆったりと楽しめる。



香川は押しも押されぬうどんの「聖地」だが、東京や大阪の都会(特に東京で)に比べると、時として驚くほどユルいうどん出てくる。

何故なら香川では、うどんを余りにも食べるため、1回のクオリティにはそれほど拘らない文化があるからだ。


昔からやっている店では茹で上げ後4、5時間経過した麺も普通に提供されることが多く、茹でたてに当たった場合とのギャップは非常に大きい。それでも余程酷いのが連続して出てこない限り、不味い店というレッテルは貼られない。


香川も小さいとは言え資本主義国家の一部であるから(笑)、競争原理は働くのは当然であるが、伝統に基づいた県民の驚くべきうどんに対する寛容さにより、うどん聖地のうどんレベルは実はもの凄い上下差がある。



一方都会では、資本主義の競争原理にもろに晒されるため、どこもかしこも茹でたてである。そして気合が入っていて実に美味しい。


そのため、都会でビシッとしたうどんを食べ来た人は、本場であるはずの香川に来たにも拘わらず、うどんを「柔らかくて不味い」と感じてしまうこともままあるようだ。


ただ、僕みたいに香川の幅の広さになれてしまっていると、競争原理によって磨かれた都会のうどん(特に東京。大阪はバリエーションが広い)は、車が空力と、パッケージ効率と、マーケティングによって、アランドロンが乗っていた宇宙船みたいなシトロエンも、50年代アメリカで流行ったバカみたいな飾りのついた、やたらデカイ車もみんな消えて、どれもこれも同じ様な顔つきになってしまったことだったり、お米をどんどん磨いていった結果、大吟醸はどの銘柄を飲んでも殆ど同じ味になってしまっている日本酒の様な味気なさを感じるのである。


各店舗、そこで工夫を凝らし、色々食材や調理法に凝ってみるのだが、これがまた「脱個性」を謳った教育を受け、自らも脱個性化を目指すべく服装、頭髪等に様々な工夫を凝らしているにも拘わらず、傍目から見ると全く皆同じに見えてしまう若者のように、一見個性的だが、奇をてらっているのがありありと透けて見える店も多い。



閑話休題。
これはマニアの話として、一般論に話を戻そう。


都会のビシッとして、ぶれのないうどんに慣れた方々が安心して食べられる、支払いに対する間違いない価値を持ったうどんがコンスタントに提供されるのがもり家である。


従って、このきちっと感があまり香川県民には好まれないのだが、やはり美味いものは美味いのであるし、上記したように家族連れでもきちんと「食事をした」という感じが得られることもあって、香川県民にとっても時々は行きたい店であるのは間違いない。


それで両方から指示されているのである。なかなか貴重な店だ。



もり家の大将は「かな泉」で修行した。今は見る影もないかな泉であるが、昭和の時代、讃岐うどんのリーダーだったのは間違いなくかな泉である。

セルフではなく、フルオーダー。レストランみたいなゆったりした席、美しい内装、と食器。そして盛りつけ。


写真を見て頂きたい。美しい盛りつけである。

いわゆる「麺線」を気にしたもりつけであるが、都会では当たり前でも、香川でこんなことをやっている店は実に少ない。

かな泉→もり家又はおか泉、というかな泉ラインが発祥であるのは恐らく間違いがないだろう。



マニアックを至上とする「恐るべき讃岐うどん」から火が付いた讃岐うどんブームにより忘れ去れてしまった、伝統的なさぬきうどんの一つの世界がそこにはあった。


詳しくは分からないが、香川から輸出され、既に都会で開花していた都会的うどん文化の逆輸入的エッセンスも入っているのかもしれないが、ともかく香川にありながら、都会化を夢見たうどん、それがもり家だろう。



10年後の現在、弟子の一人が実際に東京のど真ん中、人形町にやってきて、極めて都会的な美しさとクオリティのうどんを出す「谷や」を開いたのも必然だったのかもしれない。




香川県高松市香川町川内原1575-1
087-879-8815

10:30~20:00
木曜日定休










2012年3月5日月曜日

旧 中西からの満腹の勧め

 この2月に移転、というか、建物が代り、場所が50メートルくらいずれた中西。

写真は今となっては「旧」をつけなければならない。

うどんの写真よりも、ウズラフライと、タマネギの天ぷらをトップに持ってきてしまった(笑)

理由は簡単、中西ではうどんも好きだが、ウズラのフライが大好きだからである。ウズラのフライ、有りそうで案外少ないのだ。


大阪で食べる、口が切れそうな熱々、揚げたても美味いが、ここ香川ではうどん同様、フライも基本ふにゃふにゃ、うどんで言うと延び延びで、余程運が良くなければ揚げたてなどには当たらない。

昨今、特に都会ではうどんも揚げたて、フライも天ぷらも揚げたて命が普通となっているが、本場香川ではどっちも「ふにゃふにゃ」あり、というか、基本ふにゃふにゃである。

これをダシにつけ込んで食べるのは実に至福である。

どうせ汁につけるんだから、ふにゃふにゃでもいいや。っていう考えはダメですか(^^)??

うどんは太麺。


うどんを食べに行って、うどんの写真しか撮らないと後で一体俺は何処に行ったのか??と思うことも少なくないのだが、中西は別。

この太麺ですぐにわかるのだ。

讃岐では細麺の波が押し寄せており、珍しくなった。

出来具合は結構波が激しく、美味しかったり、ただのうどん粉の塊のようであったり。

茹でてからの時間がそうさせるのか、そもそもの仕込みの問題なのかは分からない。
しかし、香川では波も味のウチ。それほど酷い状態に立て続けに何回も当たらない限り、特に評判が落ちることもない。

麺も、フライも実にゆるゆるで、こういうのを食べると香川だな、と深く実感するのである。



ところで、二枚目の奥にはおいなりさんも写っている。

素うどん状態で、何軒も食べ歩くのも楽しいが、タマにはお気に入りの店で。おでん食べて、天ぷらたっぷり、ちらし寿司などのサイドオーダーたっぷりで、がっつりお腹一杯、という食べ方もしてみてもらいたい。凄くいいですよ。

食べ歩きでは得られない讃岐うどんの醍醐味を感じられると思う。

埼玉県の東武東上線上福岡駅近くに、元巨人軍條辺選手が、中西で修行して開いたお店「條辺」があります。
首都圏の方はこちらに行けば雰囲気が味わえます。
條辺氏は、下記移転時には手伝いに来ていました。


2012年2月3日より、旧店舗すぐの新店舗にて営業中(50メートルほどの移動なので、行き先は同じ)


平日・土曜日 5:30~16:00
日曜日・祝日 7:00~14:00

木曜定休

高松市内から南に向かって車で20分ほど。
駐車場多数。
まだ確認していないが、新店舗は噂によるとトイレが面白いらしい。












2012年3月2日金曜日

さぬきや

香川の国道32号と377号の交差点付近に昔からあるお店である。

昔ながらの非セルフ店。おばちゃんが注文を取りに来てくれる。

本場讃岐うどん=セルフ と思っている東京の人が多いのだが、セルフは決して王道ではない。

昔の店はみんなこの店みたいだった。僕はこういうノスタルジー溢れる店が大好きだ。

この日は朝イチ、釜揚げにしてみた。朝日に湯気が美しい。

麺はふわふわ、ゆるゆるである。 讃岐うどん=腰と歯ごたえ、という東京の人が多いのだが、これもちょっと違う。

昔からのうどんは、もちろん、スーパーの袋麺みたいにブワブワしていたり、口に入れたとたんに切れてしまうようなしろものではないが、決して硬くもないし、歯応えが強いわけでもない。

「ふわふわ」

この形容がぴったりだ。特に釜揚げでは。

ところで、昔中讃(香川の真ん中付近)には「さぬきや」が二軒あった。丸亀とここである。関係は定かではないが、店の雰囲気や、小でも他店の二玉分くらいあって、一発でお腹一杯になるところなど共通点は多い。

丸亀の店は家から近かったこともあり、大好きだった。でも残念ながら焼けてしまった。

琴平のさぬきや、食べ歩きには全く出てこない店であるが、ひっそりと頑張り続けて貰いたいと思うな。

仲多度郡財田町買田497-3
9~15時

2012年3月1日木曜日

福助 

2012年2月。
池袋から西武池袋線で30分ほど。清瀬である。南口から10分ほど。

僕がHPの運営を手伝っている、うどんスマイルプロジェクトに参加している当店の二月の限定メニューを頂いてみた。
このうどんの売り上げからプロジェクトに寄付金が行く仕組みである。

うどんは、「味噌こうじうどん」である。

麺は、地粉を使った黒い「田舎うどん」と、いわゆる普通のうどんの見た目をしている「白うどん」、どちらでもチョイスできる。

味噌こうじうどんは、汁うどんなので混ざってしまうから不可であるが、ザルうどんは田舎と白の合い盛りも可能なのでとても嬉しい。

マニア向けに書くと、黒用も白用も香川県坂出市の木下製粉という個人経営の製粉会社からの取り寄せである。
坂出市は香川の真ん中に位置し、いわゆる「中讃(ちゅうさん)」と言われるエリアにある。

ここはお隣の丸亀市と並んで、うどんが有名な香川の中でも、特にうどん文化が色濃いエリアであり、うどん屋さんはもちろん、それを支える小企業も沢山有る。

木下製粉は日清製粉などに比べると、小さな規模の製粉会社だが、個人経営ならではの小回りの利く製粉で香川のうどん文化を他の製粉会社と共に支えてきたといっても良いだろう。

福助の店主も、ある日突然うどんを打ち始めてから(このエピソードはいつか書くかもしれない)どんどんうどんにのめり込み、遂に木下製粉に「福助専用ブレンド」を作らせてしまうほどになった。

こういう猪突猛進型の店主が経営する店は結構数多く、これから紹介していけるのが楽しみである。

ともあれ、田舎うどん用の粉は「福助専用」の国産の小麦100%の粉である。

特徴は、味が濃く、深く、そして少し黒い。
黒いうどん、とこれまで書いてきたが、あくまでも普通のうどんとの相対的な比較における話で、実際にイカスミパスタの様に本当に黒いわけではない。しかし、冷凍うどんや、大手チェーンの麺に慣れた現代人の目には黒っぽく見える。

蕎麦には味があるが、うどんには味がない、と思っている人が案外多いのだが、そういう方は福助の麺を食べてみて頂きたい。うどんにも、蕎麦に負けない深い小麦の味わいがあることが分かり、感動すると思う。

今回は、写真ではあまり分からないが、麺は黒うどんをチョイスした。

麹なので、味噌よりは薄い味わいの汁に、しっかりとした味の麺は非常に良く合う。

途中から勧められたガーリックラー油を少々入れて頂いた。
ほぼ全て自家製のお店なのだが、これも自家製。
薬味として本当に面白い機能を果たす。



ご覧になってわかるだろうか。
ラーメン屋に近い、L字型カウンターのみのお店なので、物腰柔らかい女性といつも向き合う。
店主は、常連にも一見さんにも変わらない細かい気配りをしてくれるとても居心地が良い店だ。

残念ながら2月一杯でこのうどんは終わりなのだが、精力的に変わったメニューを出し続けている。来月(2012年3月)はつけカレーうどんだそうだ。

東京都清瀬市竹丘1-2-10
042-457-2929
11時~15時・月曜日定休