2012年4月11日水曜日

うどんの見た目について 讃州から思う

さて、上の写真は典型的なきつねうどんである。非常に美しい。美味そうである。

薄い色のおだしが素晴しい!!

しかし、写真フォルダの整理の悪い僕はこれが何処のか分からなくなってしまったのである。


もちろん、一目で分かるマニアの方も居られるだろう。


しかし僕はそこら辺のマニア度アップはあまり目指していないので、写り込んだ調味料の瓶や器など、数少ない情報を元に自分の行動を思い出してあれこれ考えてみるのだが、分からない時は分からない。



なるべくお店の外観と一緒に撮影するなどの工夫をしているのだが、うっかり忘れることも多く、どうもダメである。

その他にも



これ。

如何にも美味そうである。素晴しい。

さっきよりちょっとダシが濃い。

でも店名が分からない…



これも、丼で分かりそうな気もするが、確信はないな…


という感じになるのである。


これは、とりもなおさず、僕の整理が不足していることに加えて、


香川で食べる讃岐うどんのビジュアルが結構同じであることに拠るとも思う。


どのうどんにも店主の気持ちがこもっているので、ただ写真を並べて「見た目が同じだ」と言っているだけでは大変失礼なのは承知している。

もう少しの考察を許してもらいたい。



店には大いに特徴があるので、店構えの写真なら看板が写っていなくてもすぐに分かることが多い。

うどん自体も、食べればもちろん、各店大いに違いがある。ダシもしかり。


しかし、うどんの外観は、麺が太い、細い、縮れている、いない、ダシが濃い、薄い、といった以外は案外特徴がないのである。(うどんファン以外には、当たり前だろう、と笑われそうだが)


トッピングと器などで判断できることも多いが、うどんそのものの写真となると結構苦しい。




これは当然、ビジュアルを重んじて来なかったからである。



批判ではない。



香川県民は「特にうどんが好きです」と宣言していない人、つまり、「まあ、普通に食べるかな」
という人でも聞いてみると週に3回、多いと週5回くらい食べている人も少なくない。


空気と同じくらい摂取しているうどんに、ビジュアルは必要なかったのである。



重んじる訳がないのだ。



しかし、一般的な料理の世界に目を向けてみると、日本料理を頂点として、見た目も非常に重要な要素である。

切り方、盛りつけ方に、大変に拘る。

今や、どの食のジャンルでも、外食は盛りつけに拘る。

こだわらないのは、立ち食い蕎麦などを除いて殆ど無いだろう。


だが、空気のような超一般食である「うどん」は、外食であってもビジュアルに拘ることはなかった。


例えビジュアルに拘るうどん屋があっても、ブーム以前なら、一笑に付ふされていたであろう。


立ち食い蕎麦と同じ感じだろう。


僕も住んでいた時はもちろん、後の後になっても外観を見て「美味そうだな」とか「伸びてるかな」とかいう判断をすることはあっても、料理の外観として捉えたことは一度もなかった。



しかし、讃岐うどん屋が大阪、東京で増え、色々な経歴を持つ人が、讃岐うどんの美味さに感動して、都会で一発勝負してやろう、

となると、様々な観点が讃岐うどんに盛られていくのは必然の流れである。


しかも値段は安くて一杯600円程度、高いと1000円越えである。



高くても、値段に見合うモノを…   と流れは進んでゆく。



ということで、僕が数年、香川のうどんに没頭している間に、「釜たけうどん」を筆頭に讃岐うどんブームが巻き起こり、都会的テイストのうどんが一気に広まった大阪で大変なことになっていたのである。


一例を挙げよう。

僕が讃岐うどんは香川以外で新たな道を歩み始めていると強く感じるきっかけになったお店


大阪の

「情熱うどん 讃州」



のビジュアルである。

ここは個人的に整体を生業としている僕が、色々お世話になっていることもあり、取材しやすいので、今後もよく出てくると思うが、大阪で繁盛している店である。


上記の「釜たけうどん」の弟子にあたる方のお店である。

麺の食感自体は実にオーソドックスな讃岐スタイルではある。

しかし、ここの通称トルネード盛り



これ見たときは、ビックリした。

うどん自体の盛りつけを考えたうどんなど香川では見たことなかったし、それ以前にそういう料理的発想を抱いたこともなかったからだ。

この全景がこちら



担々麺風のつけ汁に漬けて頂く。

そして、仕上がりには残った汁にライスを入れる。そのライスはハート型である。

料理としての自由な発想。そして見た目の美しさへの拘り。



うどんなんて、キツネと天ぷらで十分やん、見た目?そんなんいらん、いらん。

そんなことしてる暇があったら安うしてや。




という香川県的な気質も僕は当然持っており、この感覚は今でも持っている。


これはこれで、香川では重要であるし、香川のお店にはこうであってもらいたい、という勝手な願望も持っている。


しかし、この展開は面白いと思い、これはこれで食べ歩いてみる気になっているのである。


都会では(特に東京より大阪)讃岐うどんは「讃岐うどん」という名前の枠を徐々に外れて、独自の発展を遂げている。


古さと新しさ。これもこのブログのテーマとして取り上げていきたいと思う。



最後に、讃州のうどんなら、店の外観を撮り忘れても、すぐにそれと分かるのである。


















2012年4月7日土曜日

長田うどん 2

宮田輝氏が長田うどんの名前を有名にしたのは1に書いた。

1975年頃の話である。

子供だったので、ラジオ(テレビ?)でNHKのアナウンサーが宣伝して有名になった。

という漠然とした話しか知らなかったので、今回ネットでもう少し詳しく、何の番組だったのかを調べてみたが、どうも詳しいことはわからない。

氏はこの頃丁度NHKを退職しており、その発言がNHKのど自慢か何かで、香川を訪れたときになされた発言なのか、フリーランスになってからなのかは今ひとつ特定できなかった。

しかし、当時、NHKアナウンサーの発言により長田が沸騰したのは間違いがない。


ただ、このブームを今振り返ってみると、麺通団のものと最も異なるのは、ブームが長田だけで終わってしまい、讃岐うどん自体の底上げには殆どならなかった点である。


その後も長田はコンスタントに客を集め続けるが、長田を突出した頂点とする全体的な盛り上がりはすぐになくなり、更に20年の間、讃岐うどんはひっそりと水底に息を潜め続けるのである。



さて、今でも飲食業にとってはテレビに取り上げられるか取り上げられないかで大きな差があるのは間違いない。

今とは比較にならない神通力をテレビを持っていた頃の話であるから、周囲でも大きな話題となり、私の家族も父親の休みに坂出からマイカーで訪れることになった。

わざわざうどんを他のエリアまで食べに行った最初の思い出である。

さて、今なら坂出から満濃の長田まで大した移動ではない。

しかし、75年当時、道が悪かった。そして車も悪かった。

行くのは大変で、満濃は田舎だった。今でも満濃はちょっと田舎扱いされているが、当時は本当に行くのが大変だったのだ。

やっとたどり着いた通称「長田交差点」は車で溢れていたのを思い出す。

そしてまだ狭かった店内はごった返しており、NHKアナウンサーの発言をバックに背負った店員の対応は子供から見ても誠に横柄だったという記憶しかない。

ただ、上の下線部は、あくまでも当時の私の感想で、今思えば単にパニックになっていただけかもしれないし、やはり田舎の店なので、あまり接客、ということに力を入れていなかっただけかもしれない。

ともかく、1回目はうどんの味云々よりも、混んでいて大変だった、というイメージしかない。

しかし、数回通っているうちに印象は変わり、大好きな店になった。

混雑はその後も土日中心にコンスタントに続き、上で書いたように架橋未だならざる讃岐うどんブーム以前において、県内外から客を集め、行列ができていた唯一の店と言っても良い存在だった。

スタンダードな讃岐うどんはかな泉、ちょっとマニアックなのは長田うどん、そんな図式が長かったと思う。

前者はレストラン形式の優等生で、家族連れで行っても、県外者の接待で行っても、誰もが楽しめ、ゆったりできる。うどんも、極めて普通。

後者は釜揚げと、冷やししかない。天ぷらもないというかなり尖ったメニュー設定で、相席が当たり前、食券制で、讃岐うどんのアバウトさを楽しむという観点が全国的に敷衍されていなかった時代、県外者をとりあえず連れて行くのはなかなか勇気が必要だった。

今となっては、もっと面白い店が沢山有るので、長田も極めて普通の店のように見えるから面白いものである。
そして普遍的な観点からして普通だった、かな泉の様な店は殆ど消えてしまい、当のかな泉も当時の勢いは全く無い。




その後、80年代になり、原付という自由の翼を手に入れた私は、長田に足繁く通うことになる。

空いていても余程運が良くないと10分は待たされるので、この、消費自由の素晴しいダシをチビチビと飲みながら待つのが楽しみだった。

あんまり美味しくて止められず、食べた後は喉が渇いて仕方がない。アイスクリームをよく買って食べたのも良い思い出である。

長田と言えば、腰の強いうどんと同時に、このダシを特徴として挙げる人は大勢居る。ソノくらい個性の突出した孤高のだしである。



95年以降のうどんブームが訪れると、逆に長田は麺通団的な観点からは「面白くない店」としてちょっと下火になってゆく。

そしてこのブログの重要記事ではないので触れないが、いくつかのトラブルを経て、うどんの味も結構乱高下し、長田in香の香が分裂し、いった歴史を経て今に至る。

今は結構色々な面で安定しているんじゃないだろうか。

香の香も美味いが、やはり長田というとどうしても、満濃を思い浮かべ、せっかくならば満濃に行ってみたいと思ってしまうのだ。

長田うどん 宮田輝の思い出と共に 1

うどんブーム前からやっているお店第二弾である。

ところで、みなさんは、NHKのアナウンサーで宮田輝氏をご存じだろうか。


50年代から70年代初めにかけて、この時代の紅白の司会をしていたといえば、その当時最も有名だったアナウンサーの一人であったであろうことは、容易に想像がつくが、何しろ亡くなって22年。

知る人は減っている。

かくいう私も、40代前半だが、あまり記憶がない。

従って、宮田輝氏の輝かしい時代の記憶がはっきりとあるのは、2012年現在で40代後半以上の人、と言えるだろう。




さて、何故宮田氏の話をしているのかというと、さぬきうどんを語る上で、宮田氏は絶対に外せない人物なのである。


宮田輝=長田うどん


という公式はさぬきうどん史を語る上で絶対に避けられないので、是非覚えて欲しいのである。

40代以上の香川の人間なら、宮田氏の名前を「長田うどん」とともに脳裏に刻んでいるのはほぼ間違いないのは、案外知られていない事実だ。


現在のうどんブームに続くムーブメントを作ったのが麺通団で、それは大体95年以降くらいである、というのはほぼ定説となっている。

95年以降もそれなりに流行り廃りはあるが、讃岐うどんは、全国にそれなりに定着しており、以前のように全国殆ど誰も知られずにひっそりと生息し続け居た時代、香川以外では全く讃岐うどんが食べられなかった時代はその頃で終わったと言っていい。


しかし、95年から遡ること20年、70年代半ばにも讃岐うどんは注目された。そして、少なくとも県民はなかなか盛り上がった。長田うどん中心に、である。
それが上記の様に、香川県民の脳裏に深く刻み込まれているのだ。


この時、私は香川県内に小学生として生活していたので、県内の盛り上がりはリアルタイムで知っているのだが、香川県以外ではどうだったのかは分からない。
従って、残念ながら相対評価はできない。
もしかしたら、県外では全く誰も知らない出来事だったかもしれない(ネットもない時代だったので、恐らくそうだったのだろう(笑))。



さて、何故盛り上がったか、というと、宮田氏が長田うどんが美味い!とメディアで吹聴したからである。


↑ 今でも一級の美味さを誇る長田うどん「冷やし」




な~んだ、って感じですか?? 


今ならNHKのアナウンサーが番組で取り上げたり、美味い、と発言したからと言ってたいしたことにはならないのは、目に見えている。


殆どの権威は相対化され、全国民が私が今、しているように地位、名誉などに何の関係もなく世界中に情報を発信することができる時代だから仕方がない。


しかし、当時はテレビは絶対権力的メディアだった。
その親玉がまだNHKだった時代で、さらにその天下のNHKで、紅白の司会もやってしまう看板アナウンサーの発言である。


学校の先生が神様で、大卒は天才で、政治家がステータスの塊だった時代のNHKの看板アナウンサーの発言は、大変なものだった。


今なら、レディガガと、トムクルーズとヨン様が足繁く通い、宣伝してくれるくらいのインパクトがあったのである。


当時小学生の私もその噂を坂出で耳にし、遠い遠い満濃という所にある、絶品であるという讃岐うどんに憧れたものだ。


そんなわけで
宮田輝=長田うどん

の公式は香川ではひっそりと生き続けているのだ。



2012年4月3日火曜日

田村うどん

讃岐うどんがメジャーになる前からやっていた店、メジャーになってから始めた店には結構大きな違いが有る。

メジャーになってから始めた店は、それなりに儲けることや、うどんを通して社会と繋がることを目標としている。それはそれで当然悪いことでは無い。


しかし一杯100円。全部儲かっても100円である。

誰にも注目されない。

グルメの対象にもならない。

でも商売を慎ましく続け、長い長い雌伏の後に訪れたブレイクを支えた店にはやはり敬意を表したい。


 メジャーになる前は、うどんは県内だけで本当にひっそりと食べられいて、僕は東京と行き来する度に、こんなに美味しいものが香川県内だけでしか評価されていないことに口惜しい思いをしたものである。

それからもう15年ほど経とうとしている。

地元の人にはまだこの変化について行けず「最近」人が増えて気軽にうどん屋に行けなくなった、とぼやく人も居るが、それなりに時間が経ったのである。

ところで、田村である。

ここは当然、ブームの前から存在し、ブームを牽引し、そして今も変わらないスタンスで続けている数少ない店である。



数少ない、と書いたのは、ブームを牽引した多くの店が何らかの変化を遂げたからである。



大もうけして拡大し、今も拡大し続けている店。

大もうけしたけどバランスを崩して逆に小さくなってしまった店。

大もうけして大きくなったけど、味の落ちた店。

役目を終えたかのように、ひっそりと消えていった店。



そんな中で、田村は有名な割に何故かあまり行列も出来ず(あくまでも他店との比較の問題だが)、拡大もせず、相変わらずブーム以前の店舗のままで、商品、施設共に昔の味わいをたっぷりと残しながら営業している店である。

ブームに乗らず、ひっそりと営業している店にこういう雰囲気の所は多いが、これだけメジャーになったにも拘わらず、ブーム以前の20年前と殆ど変わらない店は、実はここだけかも知れない、案外奇跡のような店である。


メジャーな店の中では、今一度見つめ直してみたい一軒である。


さぬきうどん、製麺所系の歴史のような店である。



アバウトに見えて案外完成された接客とオペレーション、そして硬いようで、柔らかいようで、腰のある麺。

この日は名物の?小さなお揚げと、小さな天ぷらを載せてみた。



丼に一杯。だし汁ひたひた。
ザクザクのネギ。

これが田村の見かけである。

見ているだけで美味い!!


これからうどん屋に行きたい方は、田村に是非。