2012年4月7日土曜日

長田うどん 宮田輝の思い出と共に 1

うどんブーム前からやっているお店第二弾である。

ところで、みなさんは、NHKのアナウンサーで宮田輝氏をご存じだろうか。


50年代から70年代初めにかけて、この時代の紅白の司会をしていたといえば、その当時最も有名だったアナウンサーの一人であったであろうことは、容易に想像がつくが、何しろ亡くなって22年。

知る人は減っている。

かくいう私も、40代前半だが、あまり記憶がない。

従って、宮田輝氏の輝かしい時代の記憶がはっきりとあるのは、2012年現在で40代後半以上の人、と言えるだろう。




さて、何故宮田氏の話をしているのかというと、さぬきうどんを語る上で、宮田氏は絶対に外せない人物なのである。


宮田輝=長田うどん


という公式はさぬきうどん史を語る上で絶対に避けられないので、是非覚えて欲しいのである。

40代以上の香川の人間なら、宮田氏の名前を「長田うどん」とともに脳裏に刻んでいるのはほぼ間違いないのは、案外知られていない事実だ。


現在のうどんブームに続くムーブメントを作ったのが麺通団で、それは大体95年以降くらいである、というのはほぼ定説となっている。

95年以降もそれなりに流行り廃りはあるが、讃岐うどんは、全国にそれなりに定着しており、以前のように全国殆ど誰も知られずにひっそりと生息し続け居た時代、香川以外では全く讃岐うどんが食べられなかった時代はその頃で終わったと言っていい。


しかし、95年から遡ること20年、70年代半ばにも讃岐うどんは注目された。そして、少なくとも県民はなかなか盛り上がった。長田うどん中心に、である。
それが上記の様に、香川県民の脳裏に深く刻み込まれているのだ。


この時、私は香川県内に小学生として生活していたので、県内の盛り上がりはリアルタイムで知っているのだが、香川県以外ではどうだったのかは分からない。
従って、残念ながら相対評価はできない。
もしかしたら、県外では全く誰も知らない出来事だったかもしれない(ネットもない時代だったので、恐らくそうだったのだろう(笑))。



さて、何故盛り上がったか、というと、宮田氏が長田うどんが美味い!とメディアで吹聴したからである。


↑ 今でも一級の美味さを誇る長田うどん「冷やし」




な~んだ、って感じですか?? 


今ならNHKのアナウンサーが番組で取り上げたり、美味い、と発言したからと言ってたいしたことにはならないのは、目に見えている。


殆どの権威は相対化され、全国民が私が今、しているように地位、名誉などに何の関係もなく世界中に情報を発信することができる時代だから仕方がない。


しかし、当時はテレビは絶対権力的メディアだった。
その親玉がまだNHKだった時代で、さらにその天下のNHKで、紅白の司会もやってしまう看板アナウンサーの発言である。


学校の先生が神様で、大卒は天才で、政治家がステータスの塊だった時代のNHKの看板アナウンサーの発言は、大変なものだった。


今なら、レディガガと、トムクルーズとヨン様が足繁く通い、宣伝してくれるくらいのインパクトがあったのである。


当時小学生の私もその噂を坂出で耳にし、遠い遠い満濃という所にある、絶品であるという讃岐うどんに憧れたものだ。


そんなわけで
宮田輝=長田うどん

の公式は香川ではひっそりと生き続けているのだ。