読み方が分からない人が多い加須。
カゾ、と発音します。
東北自動車道の加須インターがあるので、首都圏の人間にはそこそこ浸透しているが、
それがなかったら、本当に殆ど誰も知らない、に近い一地方都市?である。
住んでいる方には失礼だが、駅に降りると、余りにも何も無くてビックリ。
その気になれば東京から電車でも車でも1時間そこそこで来られる場所だとは全く思えないローカルぶりである。
住んでいる人以外は殆ど誰も訪れない土地、というのがあるが、
そういう雰囲気が加須、又はその周辺の町には充ち満ちている。
しかし、ここ、駅前はヒッソリとしているが、
周囲5キロ以内にかなりの数のうどん屋が点在しており、
うどんがそこそこブームになってからは、吉田うどんとまでは行かないが、
関東でもうどんの町としてかなりの脚光を浴び、「わざわざ来る」人が居る町になっているのである。
ただし、うどん屋は上記したようにかなりのエリアに点在しており、
加須駅につくなり、数軒ハシゴできるような訳にはいかない。
徒歩だと、各うどん屋に移動するのに10分から30分はかかるので、運動にはいいが、ちょっと苦しい。
ということで、二回目からは車にしている。
車で来るとこの地方都市の印象はかなり違う。
インターを降りてから、整備された広い国道を進むと、
チェーン店ばかりではあるが、それなりに店が有り、賑やかな感じが(やや)する。
ご多分にもれず、ここもすっかり「バイパス中心の町」なのである。
閑話休題
駅から2キロほどの所に、五軒ほど数百メートルおきにうどん屋がある、加須なりの
「密集地」
があるのだが、加須エリアで最古を誇る松葉屋は、そこから完全に外れた所に有る。
町外れ、どころではなく、完全に外れきった所に存在する。
加須から歩いたら、2時間くらいかかるだろう(笑)
ただし、これは今、この土地が廃れてしまっただけで、
昔はすぐ裏を流れる利根川の物流拠点としてかなり賑わったということだ。
今は川との間に巨大な堤防が立ちふさがり、川は見えず、町はただひたすら沈黙。
堤防に登ると、夥しい数のトノサマバッタが飛び交い、
北に目を移すと渺漠たる関東平野の向こうに日光連山が遠く霞んで見える、
誠に荒涼たる場所となっている。
これが松葉屋である。
店内は、香川の自宅系うどん屋そのものであるが、厨房は見たことがないほど雑然としている。
トイレに行くと、通過するので見られる。
店の中は、どさ回りの演歌歌手のポスターがデカデカと貼られている。
かつては(今も??)看板に有るとおり仕出し屋をはじめ、宴会場もやっていたそうで、店内には風俗営業許可証も貼ってある。
確かではないが、ここの辺りは、船便の休憩地点でもあり、船乗り相手の遊郭などもあったそうで、松葉屋もその一画をなしていたという話で有る。
有名なキャッチフレーズは、かの田山花袋、
学校の文学史で「蒲団」を習うが、誰も読んだ人を見たことがない、
それ故、如何にもいにしえの文豪らしい文豪、
田山花袋がここでうどんを食べていた、というものである。
花袋が「蒲団」を書いたのは明治の末であるから、もう100年経った。
そして花袋は館林生まれ。お隣である。
館林も、各家庭でうどんを打つ習慣がある。
明治、いや江戸時代からここら辺ではうどんが食べられていたということで、実はうどん文化の盛んな場所なのだ。
やはり関東平野は、蕎麦しか取れなかった山間部に比べると、肥沃だったということか。
渋すぎる外観。
営業時間は非常に短いので気をつけて下さい。
メニューは手書き。
この日は、
「冷汁天うどん」
をチョイス。
冷汁は、このあたりのうどん屋独特のつけ汁で、胡麻仕立てで夏の風物詩です。
待っている間にも、近所の人が玉を買いに来る。
「玉買い」があるところは、相当なうどん文化のある場所と言って良い。
さて、うどん。
お茶用の茶碗にゴマ汁(笑)
天ぷらは、うどんの上に。
麺はガッシリして、もう、はまるともの凄く!!!!!
美味しい。
しかし、この日は、
はまらなかったようで、
びっくりするほど!!!!…
でした(笑)
この差は香川以上!!!