薄い色のおだしが素晴しい!!
しかし、写真フォルダの整理の悪い僕はこれが何処のか分からなくなってしまったのである。
もちろん、一目で分かるマニアの方も居られるだろう。
しかし僕はそこら辺のマニア度アップはあまり目指していないので、写り込んだ調味料の瓶や器など、数少ない情報を元に自分の行動を思い出してあれこれ考えてみるのだが、分からない時は分からない。
なるべくお店の外観と一緒に撮影するなどの工夫をしているのだが、うっかり忘れることも多く、どうもダメである。
その他にも
これ。
如何にも美味そうである。素晴しい。
さっきよりちょっとダシが濃い。
でも店名が分からない…
これも、丼で分かりそうな気もするが、確信はないな…
という感じになるのである。
これは、とりもなおさず、僕の整理が不足していることに加えて、
香川で食べる讃岐うどんのビジュアルが結構同じであることに拠るとも思う。
どのうどんにも店主の気持ちがこもっているので、ただ写真を並べて「見た目が同じだ」と言っているだけでは大変失礼なのは承知している。
もう少しの考察を許してもらいたい。
店には大いに特徴があるので、店構えの写真なら看板が写っていなくてもすぐに分かることが多い。
うどん自体も、食べればもちろん、各店大いに違いがある。ダシもしかり。
しかし、うどんの外観は、麺が太い、細い、縮れている、いない、ダシが濃い、薄い、といった以外は案外特徴がないのである。(うどんファン以外には、当たり前だろう、と笑われそうだが)
トッピングと器などで判断できることも多いが、うどんそのものの写真となると結構苦しい。
これは当然、ビジュアルを重んじて来なかったからである。
批判ではない。
香川県民は「特にうどんが好きです」と宣言していない人、つまり、「まあ、普通に食べるかな」
という人でも聞いてみると週に3回、多いと週5回くらい食べている人も少なくない。
空気と同じくらい摂取しているうどんに、ビジュアルは必要なかったのである。
重んじる訳がないのだ。
しかし、一般的な料理の世界に目を向けてみると、日本料理を頂点として、見た目も非常に重要な要素である。
切り方、盛りつけ方に、大変に拘る。
今や、どの食のジャンルでも、外食は盛りつけに拘る。
こだわらないのは、立ち食い蕎麦などを除いて殆ど無いだろう。
だが、空気のような超一般食である「うどん」は、外食であってもビジュアルに拘ることはなかった。
例えビジュアルに拘るうどん屋があっても、ブーム以前なら、一笑に付ふされていたであろう。
立ち食い蕎麦と同じ感じだろう。
僕も住んでいた時はもちろん、後の後になっても外観を見て「美味そうだな」とか「伸びてるかな」とかいう判断をすることはあっても、料理の外観として捉えたことは一度もなかった。
しかし、讃岐うどん屋が大阪、東京で増え、色々な経歴を持つ人が、讃岐うどんの美味さに感動して、都会で一発勝負してやろう、
となると、様々な観点が讃岐うどんに盛られていくのは必然の流れである。
しかも値段は安くて一杯600円程度、高いと1000円越えである。
高くても、値段に見合うモノを… と流れは進んでゆく。
ということで、僕が数年、香川のうどんに没頭している間に、「釜たけうどん」を筆頭に讃岐うどんブームが巻き起こり、都会的テイストのうどんが一気に広まった大阪で大変なことになっていたのである。
一例を挙げよう。
僕が讃岐うどんは香川以外で新たな道を歩み始めていると強く感じるきっかけになったお店
大阪の
「情熱うどん 讃州」
のビジュアルである。
ここは個人的に整体を生業としている僕が、色々お世話になっていることもあり、取材しやすいので、今後もよく出てくると思うが、大阪で繁盛している店である。
上記の「釜たけうどん」の弟子にあたる方のお店である。
麺の食感自体は実にオーソドックスな讃岐スタイルではある。
しかし、ここの通称トルネード盛り
これ見たときは、ビックリした。
うどん自体の盛りつけを考えたうどんなど香川では見たことなかったし、それ以前にそういう料理的発想を抱いたこともなかったからだ。
この全景がこちら
担々麺風のつけ汁に漬けて頂く。
そして、仕上がりには残った汁にライスを入れる。そのライスはハート型である。
料理としての自由な発想。そして見た目の美しさへの拘り。
うどんなんて、キツネと天ぷらで十分やん、見た目?そんなんいらん、いらん。
そんなことしてる暇があったら安うしてや。
という香川県的な気質も僕は当然持っており、この感覚は今でも持っている。
これはこれで、香川では重要であるし、香川のお店にはこうであってもらいたい、という勝手な願望も持っている。
しかし、この展開は面白いと思い、これはこれで食べ歩いてみる気になっているのである。
都会では(特に東京より大阪)讃岐うどんは「讃岐うどん」という名前の枠を徐々に外れて、独自の発展を遂げている。
古さと新しさ。これもこのブログのテーマとして取り上げていきたいと思う。
最後に、讃州のうどんなら、店の外観を撮り忘れても、すぐにそれと分かるのである。